明智光秀の三女、玉子(細川ガラシャ)の像。父の盟友であった細川藤孝の長子忠興に嫁ぐも、天正10年(1582年)に父光秀が本能寺の変を起こすと、忠興に離縁され、山里に幽閉された。その後復縁し、カトリックの洗礼を受け「ドンナ・ガラシャ(恩寵の意)」の名を授かった。慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いに先立ち、敵将、石田三成の人質となることを拒み、自ら玉造の屋敷に火を放ち、その生涯を終えた。像は生誕450年を記念し、平成25年(2013年)に建立されたもの。大手川の畔から宮津城を眺め、細川家と宮津の民の幸せが長く続くように願う姿が、「祈り」をテーマに表現されている。
京都丹後鉄道「宮津駅」から徒歩10分