平安後期から盛んになる熊野詣の参拝道として熊野街道が利用された。信達はその宿場町として栄え、付近には一之瀬王子と厩戸(うまやど)王子があったとされる。「王子」は熊野権現の分社で、熊野詣の休憩、宿泊所でもあり、1201年に後鳥羽上皇や藤原定家一行が宿泊したという記録がある。江戸時代には、参勤交代の宿場町として紀州徳川家が宿泊し、定宿とした本陣跡・角谷家には、往時の史料や紀州家ゆかりの品が受け継がれている。街道沿いには信達宿の面影を伝える妻入の家並みが続く。家屋は街道に妻を向け、一段低いところに平入の屋根を持つこの地域独特の様式。江戸時代「油新」という旅籠であった梶本家の野田藤は、一本の木が4万の花房をつけることで知られ、毎年春の「ふじまつり」には多くの花見客が訪れる。
JR阪和線「新家駅」もしくは「和泉砂川駅」下車