戦国時代に北畠具教の重臣であった大宮氏が守っていた城で、織田信長が北畠氏攻略のため、まずこの城を落とし廃城となった。標高約300mの山頂に築かれた山城で、南北朝時代にはすでにあったとされる。応永22年(1415年)に、北畠満雅が足利幕府軍を迎え撃った戦いでは、馬の背に白米をかけて水があるように見せかけ、幕府軍を撤退させたと伝わることから、「白米城」とも言われる。南北2つの郭は、北郭を椎ノ木城、南郭を白米城と称し、土塁、堀切などが残る。山頂までは3つのハイキングコースがあり、市民に親しまれている。国指定史跡。
JR紀勢本線・近鉄「松阪駅」から阿坂小野線のバス約35分「岩倉口」~徒歩15分(登山口)~徒歩40分(頂上)