播磨国守護であった赤松政則が、文明元年(1469年)に築城したと伝わる。羽柴秀吉が播磨を平定した際、播磨国内の城の破却を命じ、以降、置塩城は廃城となったと考えられている。標高370mの山頂部に位置するI郭(伝本丸)と、その西の尾根上に配置されるII~IV郭の主郭曲輪群(伝二の丸・三の丸)から成り、東西約600m、南北約400mにわたって広がる播磨最大の山城である。現在は、石垣や建物礎石、庭園跡、屋敷跡のほか、基礎を磚瓦(せんがわら)で区画した天守に似た櫓状の建物などが残っている。国指定史跡。
JR神戸線「姫路駅」・山陽電鉄「山陽姫路駅」から「塩田・前之庄行」の神姫バス「宮置」下車(登山口から山頂中心部まで徒歩40分)