天下統一をめざす織田信長の命を受けた明智光秀が、戦国大名、波多野秀治と死闘を繰り広げたとされる八上城。城主、秀治は武勇にすぐれ、一時は三好長慶の家臣、松永久秀に城を占拠されたが、奪回後、本丸、二の丸、三の丸、岡田丸を構築し、歴史に残る難攻不落の山城をつくり上げた。秀吉と光秀の丹波攻めの際も、再三にわたる攻撃にも耐えたが、兵糧を絶たれるなどし、天正7年(1579年)遂に落城。高城山の八上城を本城とし、奥谷の城下を挟んで、法光寺山の法光寺城を支城とする、東西3kmにも達する大規模な中世山城は、「八上城跡」の名称で、平成17年(2005年)国の史跡に指定された。
JR宝塚線「篠山口駅」から「福住行」のバス「十兵衛茶屋」~徒歩1時間