戦国時代、織田信長が清洲城主であった頃、信長と対立を深めていた織田信安・信賢父子が城主であった岩倉城の跡。尾張では清洲城と並んで最も重要な城であり、信長は、永禄元年(1558年)の浮野合戦で岩倉城を落城させ、尾張の統一を果たした。山内一豊の父、盛豊は城と運命を共にしたが、当時15歳であった一豊は難を逃れた。城跡は東西約91m、南北約171mの台地上にあり、内外二重堀があったといわれ、城跡の南側には外堀や丸の内といった地名も残る。本丸跡の「織田伊勢守城址」の碑は、安政7年(1860年)に建てられたもの。
名鉄犬山線「岩倉駅」から徒歩10分