標高437mの信貴山頂(雄岳)を中心とする、戦国期の典型的な山城。城郭の範囲は、南北約700m、東西約550mにも及び、奈良県下で最大規模を誇る。木澤長政が築き、天文11年(1542年)に太平寺の戦いの余波で、城はいったん焼失したが、永禄2年(1559年)に大和に入国した松永久秀が再建した。天正5年(1577年)に織田信長の侵攻によって、松永久秀が自害し、信貴山城も廃城となった。信貴山朝護孫子寺の境内にあり、多くの曲輪をはじめ、堀や土塁、門などの遺構が良好な状態で残る。
登山口まで/近鉄「信貴山下駅」からバス「信貴山」下車